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アラサー女子の行きすぎた母性は「オバサン化」を促進する

「母性の行き場がない」というのは、かのオアシズ・光浦靖子さんの名言ですが、30歳というひとつの節目となる年齢に近づくにつれ、自分の中にひっそりと隠れていた母性が、むくむくと芽生えていくのを感じます。

あふれる母性をどう昇華させるか

街中でつい目で追ってしまうのは、もはやイケメンやお洒落な人ではなく、赤ちゃんや子どもです。電車内で赤ちゃんと目が合うと、ずっと見つめてしまい、笑わせようと試みている自分に気付いてハッとします。母性の行き場を求めてる……?

確かに結婚して子どもがいれば、「母性の行き場」は当然あるわけですが、未婚・子なしの場合、あふれ出る母性をどのようにして昇華させるかというのは、解決しなくてはならない「課題」のひとつです。

それもあって、この時期から「お出かけ先」として定番化するのが「既婚/子持ち友人宅」です。

20代も後半を迎えた頃から、第一次出産ラッシュが訪れ、SNSにも妊娠中のプレママ、出産後の新米ママたちの投稿が並び始めます。第一次結婚ラッシュが過ぎて、次は出産ラッシュかと感慨深いきもちになります。結婚すらしていないのに。

よその子どもに母性の行き場を求める

日々成長していくよその子どもの写真をSNSで見ては、心からの「いいね!」やコメントをしていたところ、とある女友だちから、共通の友人の子どもを見に行かないかと誘われました。彼女は4年ほど恋人がいない、働き者のアラサー女子。

頻繁に子持ちの友人宅へ遊びに行くという彼女のSNS上では、子どもと一緒に写った写真が、異様に高い頻度で投稿されています。他人の子どもとは思えないほどの溺愛っぷりが伝わってきます。

「いつ行くの? 今でしょ!」とノリノリな彼女と、とある家の子どもを見てきました。赤ちゃんは純粋にかわいらしい存在で、こちらが抱いていたり、小さな手足にふれたりすると、自分の全身が一瞬ぞわぞわっとして、次第に身体の奥からポカポカしてくるのを感じました。他では得られない感覚を味わいました。

行きすぎた母性でオバサンに

端的に言うと、女性ホルモンが活性化されている感じ? 帰りに彼女とお茶を飲んだのですが、スマホの待受画像がよその子どもでした。ここまでいくと親戚のオバサンのようです。

「行き場のない」ではなくて、もはや「行きすぎた母性」――これはアラサーならではの色っぽさや艶感を失わせ、子どもの「取り巻きオバサン」化させる働きを持っています。

母性があふれ出て困ると話す女子が、貴重な休日を使って会いに行く相手が「他人の子ども」というのは、一種の不健康な症状ではないでしょうか。決して悪いことではありませんが、出かける場所を間違っていませんかと、問いたくもなります。

「未婚・子なし・彼なし」という現実から目をそらしたり、諦めあるいは悟りのモードに入ったかのようにも思えるのです。前提として、よその子どもは結局は他人のものであり、いつまでも母性を解き放つ対象物にしておくわけにはいきません。いつかは離れていかなくてはならない存在です。

行き場のなかった母性を、真の意味で健全に昇華させていくには、やはり自分で子どもを産み育てるのが一番です。人の子どもに注ぐ母性は、確かに母性ではあるものの、質を異にしています。自分の子どもに注ぐ母性こそがリアルで、確かに昇華されていくもの。

そのためには、よその子どもの元に通う前に現状を見つめた上で、母性発散活動よりも恋愛活動を優先的にこなしてほしいと思うのです。

池田園子

フリーランスの企画ライター。86年生まれ。楽天でポータルサイト運営、ITベンチャーでメディア運営を経て独立。主な執筆ジャンルは、恋愛、Web、ガジェット、新しいモノ、働き方、イケメンなど。著書に『フリーランスで食っていきたい!』がある。ブログ『Sonoko Blog』やTwitterでも発信中!

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